下津井
倉敷の南、児島半島の先にある下津井という街へ行ってきた。
尾道や鞆の浦と比肩する趣深い漁港なのだが、四国への玄関口としての役目を終えた今となっては、知る人も少なくなっているかもしれない。スカイサイクルで有名な鷲羽山ハイランドのあるあたりと言えば、わかる人もいるだろうか。
目的はもちろん、瀬戸大橋だ。
「瀬戸大橋線」とは、なんと魅力的な響きだろう! 「津軽海峡線」と同じくらいいい。津軽海峡線はもうなくなってしまったけれど。廃止される前に乗っておかなったのが返す返すも残念だ。
駅を出て児島観光港を眺めてから、鷲羽山へ向かって歩き出す。
児島はその名の通り、かつて島であったらしい。奈良時代からの度重なる干拓で本土と地続きになった、人工的な半島だ。
古事記によれば児島は、淡路・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州の次にイザナミとイザナギによって生み出された島である。小豆島や五島列島、周防大島よりも先なのだからなかなか由緒のある島と言えそうだ。何しろ天草諸島や塩飽諸島、蒲刈群島など錚々たる島々の名前さえ上がらないなかでの快挙なのだ。
もしかすると国産みで生み出された島だったから"児"島なのかもしれないと考えると、これもわくわくする。まさか児島が飛鳥時代から存在する地名だとは思ってもみなかった。
山の間から覗く下津井瀬戸大橋を目指して歩く。
左の山が鷲羽山で、山頂もそちらにある。右手の山には地図上では名前がついていないようだが、これも鷲羽山の一部だろうか。山稜に鷲羽山ハイランドの遊具が見える。
そういえば鷲羽山は、北東から望むと翼を広げた鷲に見えるらしい*1。上の写真は北北東から撮ったものだが、どうだろう。
5kmほど歩いて鷲羽山展望台へ。距離の割に途中の写真があまりないのは、同行人が強行軍に音を上げてぶうぶう言っていたからだ。舗装道とは言え彼には革靴で山道を登ってもらったので、悪いことをした。
展望台横の展望レストランで昼食をとる。
眺めもいいし、食事もおいしい。下津井の蛸を使用した蛸料理。蛸飯と蛸の干物、天ぷら、茶碗蒸しとサラダ。下津井は蛸で有名らしい。
鷲羽山展望台から下津井港まではそれなりに距離があったのでタクシーを使った。なのだが、このエリアは配車圏外という会社が多く、手配には相当苦労した。最終的にはたしか、下津井タクシーというローカルなタクシー会社にお願いしたのだった。いま調べてみたところGoogleでは閉業と表示されているが、あのときはおそらくお一人で営業されていたのではなかろうか。
大橋を左に眺めながら走る。
「瀬戸大橋を最も近くで見られる、眺めのいいところ」とオーダーして降ろしていただいた。橋梁直下を除けば間違いなく一番近い。
下方には漁船が舳先を並べ、その上を瀬戸大橋線の列車が走っていく。下津井を象徴する光景かもしれない。
下津井の街並みを見下ろしながら鷲羽山(と思しき山)の中腹まで登り、鷲羽山ホテルへ向かった。
鷲羽山ホテルには屋上に露天風呂があって、瀬戸内の島々と瀬戸大橋橋梁群の織り成す雄大な眺めを楽しみながら温泉に浸かることができる。
リラックスしたところで山を下り、いよいよ下津井港へ。
港には郵便船が係留されていた。現役なのかわからないが、下津井から配達するとすれば塩飽諸島のどこかということになる。櫃石島と岩黒島は、瀬戸大橋上で赤いミニバンを見かけたことがあるから違うだろう。
六口島で郵便船が目撃されているようなので*2、そのあたりへ配達しているのかもしれない。
高台にある、大橋の見える神社へ。この立地がいかにも歴史ある港町らしい。気さくな神主の方から下津井の昔話を聞かせていただいた。人懐こい猫から足元に擦り寄られながら。
神主の方にお礼を言って再び港のほうへ。瀬戸大橋を眺めるように並べられた二つの椅子が印象的だ。
地方へ行くと、横断歩道や交差点の角に私物のような椅子が置いてあって、お年寄りが座っているのを見ることがある。信号待ちで座るのかと思いきや、信号のない横断歩道で見かけることも少なくない。なぜお年寄りは、横断歩道のそばに椅子を置くのだろうか。今度座っているのを見かけたら訊いてみよう。
日が傾いてきたので、暮れる前にともう一度鷲羽山へ登った。
遊歩道を歩きながらあたる潮風が心地いい。瀬戸内の島々も四国本島も、瀬戸大橋もよく見える。
「島一つ土産に欲しい鷲羽山」との歌碑があった。児島出身の俳人、難波天童の句であるとのこと。まことに名句である。
山を下って帰路に就きながら考える。持ち帰るとしたらどの島がいいだろうか。
瀬戸内の街々はどこも魅力的で、困ってしまう。